10年前を振り返る。

 

「揺れてる?」

「だね。」

 


中学2年生の終わりの春休み。学年末試験も終わって、授業も無く各部活動が集中練習していた期間だ。


われわれ音楽部は、

春分の日か、その前後の日に予定していた定期演奏会の練習だった。

その中でも吹奏楽ステージでやる「星条旗よ永遠なれ」の合奏中。たしか、後半のピッコロがソロを吹く場面だったと思う。(この曲、A♭メジャーという調性で、オーボエには少し嫌な調。という言い訳。)

まともに譜面をさらってこなかった僕と隣の先輩(2つ上だけどタメ口で話していた)は、2人して全然吹けなかったから、音符のある場面だったがその日は諦めて、声に出して揺れを確認していた。

たぶん、あの場で1番早く揺れに気付いていたのでは。

 


指揮をしている先生は曲調にあわせてノリノリだから、地震だということに気付くのが遅れていたが、生徒がだんだんと演奏をやめるので、ようやく棒を止める。

 

かなりの揺れの大きさにざわつく音楽室。

 


ホルンの高2の先輩「カーテン閉めて!!!」

ホルンの同輩「ハイ!!!!」

 


そんなやりとりが後ろから聞こえた。

今でも、高2にしてそんな指示を出せていたあの人は冷静な判断だなぁ、と思う。

 

 

校庭に全員が集まるように放送が入って、僕らは楽器を抱えて音楽室のある4階から校庭に出た。

サッカー部もテニス部もバスケ部もいたと思う。

水泳部が水着のまま校庭に出てきたことをよく覚えている。

(母校は地下にプールがあった。)

 


結局その日は、家が徒歩圏内の生徒以外は講堂に泊まることになった。

僕は、家から電車を乗り継いで1時間半くらいかけて通わせてもらってたから、泊まり組だ。

 


あまりの非日常だったから、その時のことは今でもしっかりと覚えている。


・火災が起きた東北の工業地帯一面の映像がスクリーンに映されてたこと。

iPod mini のラジオ機能をその日初めて使ってニュースを聞いていたこと。

・休みだから学校の近くのマックに集まってPSPをしていた同級生が帰られなくなって学校に避難してきたこと。

・なぜか楽器ケースにトランプを持っていて、講堂で先輩と遊んでいたら、顧問の先生に怒られたこと。

・食堂でご飯が出されたとき、普段は別学年の担任で、中1のときの社会科の担当だった先生が名前を覚えてくれたこと。

・非常用の毛布は硬かったこと。

・親戚の家が近くにあるという嘘をついて、4時間くらいかけて歩いて帰った先輩がいたこと。

・自宅の部屋には教科書が山積みだったから自分のPSPやDSが何かの下敷きになって壊れてないか心配したこと。

 


無事に寝られた次の日の朝、携帯電話は回線が混み合って繋がらなかったが、学校にある公衆電話から家に電話がつながって、電車も動き出していて、帰れた。

 

電車は普段の倍近い時間がかかった。

学校を出たのは朝の8時頃で、帰宅できたのはお昼過ぎだったかな。


自分の部屋は、意外にも元のままだった。

 


地震が起きてからの24時間はそんな感じだった。

 

 

 

その1週間後くらい。たぶん3月18日だったかと思う。

年度末の成績発表兼終業式で1日だけ学校に行き、その帰りに先輩同輩と新宿のカラオケに行った。

新宿ルミネの下で吉本の芸人さんが募金活動をしていて、至近距離で見る芸能人に少しテンションが上がった。

帰宅したら、そんなことをしてる場合じゃないと母に怒られた。(本当にそうだと思う。)

 

 

 

定期演奏会はやはり中止になった。

後日に学校の講堂で規模を縮小してやった。

 

 

今でも覚えている大変な体験だった。


でも、


正直なところ、中学2年生当時の僕にとって、身近な人や知り合いはみんな無事だったし、辛い思いは少なかった。

 

 

 


10年が経ち、あれから未だに東北に足を運んだことが無い。

今や、色んな映画で東日本大震災のシーンや、実際にあったエピソードが描かれたりもするが、自分の目では何も見ていない。

 


僕らと同年代の、東北で被害に遭われた方が、それぞれの困難を乗り越えて、大人になった今テレビでインタビューを受けているのを見て、少し自分が恥ずかしくなった。